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第10章 モンテカルロ光子輸送

本章では、光子輸送のモンテカルロ計算を通して、光電吸収、コンプトン散乱、レイリー散乱を説明します。

現実の X 線光子は、物質中で吸収されたり、あらぬ方向へ散乱したりします。散乱した光子は検出器を汚してアーチファクトの原因になり(第12章)、吸収された分は患者の線量になります(第9章)。この素過程を 1 光子ずつ追って統計的に解くのがモンテカルロ法で、Geant4 に代表される本格的なシミュレーションが担う計算です。ここまでの順投影は線積分(Beer–Lambert 則)、すなわち X 線は物質を通ると exp(μdl)\exp(-\int \mu\,dl) だけ弱まるという理想化で表してきました。再構成の数学を作るには十分でしたが、実際の X 線 CT が相手にしている物理の一部しか捉えていません。

光子が物質と起こす 3 つの相互作用

診断領域(およそ 20〜150 keV)の X 線が物質と起こす相互作用は、主に 3 種類です。

  • 光電吸収:光子が原子に丸ごと吸収され、電子を叩き出す。光子はそこで消え、エネルギーはすべてその場に付与されます(=線量)。低エネルギーほど、また原子番号が高い物質ほど起きやすい(おおよそ Z3/E3Z^3/E^3)。
  • コンプトン散乱:光子が電子と弾性衝突し、方向を変えてエネルギーを一部失います。散乱後のエネルギーは E=E/(1+(E/511)(1cosθ))E' = E/(1 + (E/511)(1-\cos\theta))(keV)で決まり、失った分 EEE-E' がその場の線量になります。診断領域の軟部組織で主役の過程です。
  • レイリー散乱:光子が原子全体とコヒーレントに散乱し、方向だけわずかに変えてエネルギーは失いません。寄与は小さいですが、前方付近の散乱を増やします。
3 つの相互作用光電吸収コンプトン散乱E' < Eレイリー散乱E' = E一次線と散乱線検出器一次線散乱線

光電吸収、コンプトン散乱、レイリー散乱(左)と、一次線・散乱線の検出位置(右)。散乱線は一次線とは異なる位置に入射し、投影値に加算される。

どの過程がどれだけ起きるかはエネルギーで変わります。低エネルギーでは光電吸収が優勢で、光子はよく吸収され、線量が高くなります。エネルギーを上げるとコンプトン散乱が優勢になり、散乱線が増えます。総減弱係数 μ\mu も低エネルギーほど大きく、これが第12章のビームハードニング(低エネルギー成分が先に吸収されてスペクトルが硬くなる現象)の出発点です。

モンテカルロ法:確率で追う

線積分がビーム全体を一本の式で表すのに対し、モンテカルロ法は光子を 1 個ずつ、確率的に追跡します。手順はおおよそ次のとおりです。

  1. 次の相互作用までの距離を、総減弱係数 μ\mu から s=ln(ξ)/μs = -\ln(\xi)/\muξ\xi は一様乱数)でサンプリングする。
  2. その点で、どの相互作用が起きたかを断面積の比で抽選する。
  3. 光電吸収なら光子は消え、エネルギーをその場に置く。コンプトンなら Klein–Nishina 分布から散乱角を引いて方向とエネルギーを更新する。レイリーなら方向だけ変える。
  4. 光子が検出器に届くか、消えるか、視野の外へ出るまで 1〜3 を繰り返す。

1 個の光子の運命は乱数で決まりますが、多数の光子を追って平均すれば、期待される分布に収束します(大数の法則)。ここで第9章のポアソン統計がそのまま効いてきます。集める光子数 NN を増やすほど、推定の相対的なばらつきは 1/N1/\sqrt{N} で小さくなります。少ない光子数では結果がざらつき、増やすほど滑らかになります。実際の計算では、この収束の遅さ(誤差を半分にするには 4 倍の光子が要る)が悩みどころで、分散低減法という工夫が使われます。

モンテカルロは“真値”に近いが、遅い

散乱を含む厳密な光子輸送には解析解がありません。モンテカルロは十分な光子数を回せば真の分布へ収束するので、解析的な散乱補正やビームハードニング補正が正しいかを検証する「基準(ground truth)」として使われます。代償は計算コストで、1 枚の投影像に十分な統計を得るのに膨大な光子が要ります。GPU 実装や分散低減法が実用の鍵です。

シミュレーション:散乱と線量を光子から見る

水の円柱に高密度の骨インサートを入れたファントムに、上端から平行ビームを入れて 1 光子ずつ追跡します。中央は付与エネルギー(線量)の分布、右は検出器に届いた一次線と散乱線のプロファイルです。エネルギーを上げると光子は吸収されにくくなり、線量割合が低下します。散乱対一次比(SPR)は、エネルギーに対して単調に増加するとは限りません。低エネルギーでは吸収が大きく、検出器まで届く一次線が少ないため、散乱の相対的な影響が大きくなる場合があります。物質が厚くなると、一般に SPR は増加します。光子数を増やすと、線量マップとプロファイルのモンテカルロノイズが減少します。一次線による鋭い影に散乱線のなだらかな成分が加わることで、投影値の定量性が低下します。

ファントム(水+骨)

WL 0.950 / WW 2.00ドラッグで WL/WW 調整

付与エネルギー(線量)

WL 181 / WW 363ドラッグで WL/WW 調整

検出器プロファイル

0102030405060708090050010001500200025003000検出器位置エネルギー
一次線散乱線
散乱対一次比 SPR52%
付与割合(線量)38%

水円柱と骨インサートに対する光子輸送。中央は付与エネルギー、右は検出器に到達した一次線と散乱線のプロファイルで、光子数を増やすとモンテカルロノイズが減少する。

Geant4 と本格的なモンテカルロ

このシミュレーションは 2 次元・単純化した断面積・面内散乱だけの教材用モデルです。実際の研究や装置設計では、より厳密なモンテカルロツールが使われます。Geant4(GEometry ANd Tracking)は CERN で開発された汎用の粒子輸送ツールキットで、素粒子物理から医学物理まで広く使われています。医用イメージング向けには Geant4 を土台にした GATE、陽子線治療などで使われる TOPAS、ほかにも MCNPEGSnrc といったコードがあります。これらは 3 次元の任意形状、連続エネルギースペクトル、精密な断面積データ、検出器の応答(シンチレータの発光や光電子増倍まで)を扱い、CT の散乱補正の設計、PCCT(第14章)の検出器応答の評価、線量計算などに使われます。この章のトイモデルは、そうしたツールが内部で回している素過程を、ブラウザの中で最小限に再現したものです。

この章の要点

線積分による順投影は理想化で、実際の光子は光電吸収・コンプトン散乱・レイリー散乱を起こします。光電吸収は線量を生み、散乱は方向を変えて検出器を汚します。どの過程が優勢かはエネルギーで変わり、低エネルギーでは吸収と線量が、高エネルギーでは散乱が増えます。モンテカルロ法はこの素過程を 1 光子ずつ追い、多数の平均として真の分布へ収束させる方法で、誤差は光子数の平方根に反比例します。散乱補正(第12章)や線量評価(第9章)の基準となる計算であり、Geant4 などの本格ツールがこれを厳密に担います。

参考文献

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